人間の体内の細胞の数: 100,000,000,000,000
人間の体内に存在するバクテリアの数: 1,000,000,000,000,000
海の中の藍藻類の生物量: ~44,000,000,000
人類の生物量(単位トン): ~250,000,000
南極のアキアミの生物量: ~500,000,000
カブトガニの誕生してからの年数: 300,000,000+
藍藻類が誕生してからの年数: 3,500,000,000+
人類が誕生してからの年数: ~130,000
ほ乳類が絶滅するまでの平均年数: ~5,000,000
リンネ (1758)が推定した種の数: ~20,000
現在、分かっている種の数: ~1,500,000
現在の種の推定数: 4,000,000から100,000,000
(欧州で)1500年に考えられていた惑星の数 7
宇宙に存在すると考えられる地球のような惑星の数:
~3,000,000,000,000,000,000,000
コペルニクス(1473–1543)の時代に
考えられた宇宙の中心(地球)から人類までの距離(km): 0
ガリレオ(1564–1642)のAえられた
宇宙の中心(地球)から人類までの距離(km): ~149,000,000
現在考えられている宇宙の中心(地球)から人類までの距離(光年):
8,000
これも見ると人間の中心においた価値観の愚かしさに気付く筈です。
勿論、正常な感受性と想像力を持っていればのお話ですが…
「すべての生きとし生けるものは、幸せで健やかでありますように」
(あらゆる人びと生き物が幸福で、健康であれ)
もちろん、「メリー・クリスマス」という言葉も刻んでおきました。
つまり、キリスト教と仏教を超えた世界宗教のクリスマスカードとして、なかば冗談で、なかば本気で作りました。
世界平和と皆様方のご健康とご繁栄をお祈りしつつ・・・
今回はオシドリさんです。オシドリさんたちは、淡水カモさんたちと同じような場所にいることが多いので、普通の淡水カモの一種だと思っている方も少なくないかもしれませんが、分類上は淡水ガモ類とは異なります。カモの分類は結構複雑なので別の機会に譲らせていただきます。英語では"mandarin duck"と言います。
漢字では「鴛鴦」という難しい字を書きます。これを音読みして「えんおう」と呼ぶこともあるようです。「鴛」はオス、「鴦」はメスを指しています。上の絵は、オスですから、「鴛」というころになります。オスは絵のように鮮やかな色をしているのですが、メスは全体的に灰褐色で、目のまわりが白く、目の後ろに白い線があります。オスも非繁殖期にはメスとよく似た羽色(エクリプス)になるのですが、くちばしのピンクが残る(メスはクチバシの色は黒です)ので区別できます。体長は45cm、主に植物食でドングリを好むそうです。他に穀類、水生植物、カタツムリ、魚、蝿の幼虫なども食べます。
都内のあちこちの公園の池などで見ることが出来ます。明治神宮、新宿御苑、目黒の自然教育園、六義園など森に囲まれた池のある公園には毎年飛来して、越冬しているようです。上の絵は六義園(文京区本駒込)で撮った写真を参考に描いたものです。井の頭公園でもたくさん見られますが、人工増殖が行われているようです。
水辺の地面に巣を作る他のカモさんたちと違って、水辺近くの木のうろに巣を作るので、森に囲まれた池のあるところにやってくるわけです。オシドリさんたちは人が設置した巣箱もよく利用するそうです。
オシドリさんは北米とアジア東部にそれぞれ1種類ずついるそうなのですが、残念ながら数が随分減ってしまっているようで、全世界で5000羽くらいしかいないそうです。それで、危急種(環境省の分類では希少種)になっています。
北米産のアメリカオシは日本のオシドリのような橙色は見られませんので、日本のオシドリの方がはるかに奇麗です。
幸いにも、東京は世界のオシドリの5%が越冬する場所になっているので、見たことのない方は一度、ご覧になられると良いでしょう。来日する海外のバードウォッチャーたちが最も見たがるのもオシドリさんだそうです。この調子で減っていくと、そう遠くない将来、見られなくなりそうで心配です。
【絵について】
この絵も色鉛筆のみで仕上げています。
絵をご覧になって、え〜って思われる方も少なくないでしょう。江戸の鳥さんというには、あまりに違和感のある鳥さんです。
私もこの鳥さんを東京の空で見かけた時はビックリしましたから。何しろ、日本野鳥の会のフィールドガイドでも、「野生化した飼鳥」という項目のに乗っているくらいですから・・・原産地は亜熱帯から熱帯にかけて、インドからアフリカあたりに生息している鳥さんなのです。
そんな鳥さんが1960年代の終わりから東京の空で見られるようになりました。
何しろ色が派手なので、こんなのが3〜4羽群れて飛んでいると、言葉を失います。全身がとても鮮やかな黄緑色、長い尾は青緑色、クチバシは赤橙色、首には赤い輪。この輪が月の輪熊のようだということで、月の輪インコなんて呼び名もあるようです。
私が見かけたのは、練馬と板橋、それと世田谷なのですが、世田谷、目黒、杉並などでは頻繁に見られるそうです。
何で今回この「ワカケホンセイインコ」を取り上げたかというと、本来は熱帯、亜熱帯の鳥なので、そろそろ寒くなった来たんでどうしてるんだろうという気になったからです。
世田谷、目黒、杉並などでは、群をなして飛来し餌台の餌を独占してるらしいんで、冬場もそうかも知れませんね。植物質の餌、果実や花、木の芽なんかが好物のようなんですが、冬場はやはり自然ではちょっと厳しいから、やはり餌台かな? 餌台のリンゴ、麻の実、パン、落花生なんかがお気に入りだそうです。
本来は飼い鳥だったのに、放されたかのか、勝手に逃げたのか野生化したいわゆる「籠抜け鳥」です。他にも文鳥、ベニスズメ、ギンパラ、キンパラ・・・など首都圏だけで80種類もの籠抜け鳥がいるそうです。たしかに文鳥さんがスズメに混じっているのを見かけたことはあります。しかし、大半は、良くもっても数年で死滅するらしいのですが、このワカケホンセイインコは長年生き延びているわけです。
長い尾を持つため体長は40センチにもなりますので、群れて飛ぶと本当に壮観です。目黒区とか大田区では数百羽も群れて飛ぶそうですから、見たことはありませんが、さぞ壮観でしょう。
地球温暖化が進むとこのワカケホンセイインコのような生き物が増えるのかも知れないと考えると、ちょっと不気味な気もします。
でも、インコさんたちの冬場の姿も気になるので、その内、良く見られるというスポットに探しに行ってみようと思っています。
11月は「オオカミの月」とすることにしました。2回にわけてオオカミの話を書いてみようと思います。
まず、第一回目は絵本"The Three Little Wolves and the Big Bad Pig"(「三匹の子オオカミと悪い大ブタ」)について少し考えてみたいと思います。

この本は日本でも10年ほど前に話題になったと記憶しいますが、たぶん(記憶が定かではないのですが)その時に原著を買っていつものように積ん読(つんどく)+飾っ読(かざっとく)しておいたものだと思います。訳本が確か神保町の冨山房から出ていたと記憶しています。
童話「オオカミと三匹の子豚」は誰でもご存じのことと思いますが、オオカミがヒール、子ブタがベビーフェイスなわけです。
Once upon a time there were three little pigs and....(むかしむかし、あるところに3匹の子ブタがいました・・)で始まります。
他にも『三びきのコブタのほんとうの話』(著者: ジョン シェスカ, いくしま さちこ, レイン スミス, Jon Scieszka)て本があるらしいんですが、その中に出てくるアレクサンダー・T・ウルフ(通称アル)こと、オオカミさんの言い分なんですが…
「いったいどうしておれが悪者になっちまったのかわからないんだが、そんなのはまったくのうそっぱちだ。」
一方、絵本"The Three Little Wolves and the Big Bad Pig"は、オオカミがベビーフェイス、子ブタがヒールになっている本です。
Once upon a time there were three cuddy little wolves and....(むかしむかし、あるところにとっても可愛い三匹の子オオカミがいました・・・・)で始まります。
で、お話の内容は『三びきのコブタ』とまったく逆になっているわけです。
だからオオカミのイメージは、次の画像のような感じになるわけです。
![]()
思うに、『三びきのコブタ』のオオカミをヒールに仕立てて、子ブタたちをベビーフェイスにするっていうやり方は、人間を一番上に置いて、人間に都合の良い物から順にならべていくっていう例のやり方の延長線上の話に思えます。ブタは人間に肉を提供してくれる都合の良い動物。一方、オオカミは家畜や人間を襲うイヤな生き物。だから、子供たちに読ませるのには、オオカミをヒールに仕立てて、子ブタたちをベビーフェイスにしといた方が良かったわけです。一種の洗脳、刷り込みってわけです。
絵本"The Three Little Wolves and the Big Bad Pig"の作者は、主客を逆転させることで、人間のご都合主義で動物たちをランク付けする愚かさを軽く揶揄したかったじゃないのかな、と私は見ています。
だから、絵本"The Three Little Wolves and the Big Bad Pig"は大人向けの絵本なのではないかと思うわけです。
やはりというか、ムクドリの絵でたいそう苦戦してしまいました。10年ぶりに絵を描いたこともあるのですが・・・・前回のオナガガモの紙よりかなりキメの粗いフランス製の、しかも20年くらい前に買っておいた水彩用のペーパーブロックシートを使ってみたのが災いして、これがまたえらく書き辛い代物でした。水彩用には良いのですが、鉛筆画用には、いかにもキメが粗過ぎました。当初は色鉛筆だけで書くつもりだったのですが、どうも羽根の質感が出ないのです。しかたなく、黒のデザインインクを併用して、やっと何とか様になりました。(というか、本人だけ様になったつもりでいます)
ムクドリ
最近、カラスさん、ハトさんなどと並んで、嫌われモノの仲間入りをしている鳥です。
なにゆえに嫌われるかというと、何しろものすごい大群でやってくるからです。地方によっては、マケドリと呼ばれるそうで、この「マケ」というのは群れという意味だそうです。要するに大量に群れて飛んでくる鳥なのです。通常は数十羽から数百羽くらいの単位で群れ飛ぶようですが、先日テレビを見ていたら数千、あるいは万の単位で飛んでいる姿が映し出されていました。私はアリの群れを見ただけで背中がゾクゾクする位、群れをなしたものが嫌いなたちなんで、何千羽、何万羽が群れ飛ぶなん姿を実際に見たらおそらく逃げ出すことになるでしょう。
これだけ群れると当然声もかまびすしいわけで、体長25センチにも満たないのにキュルキュル、リャーリャーとけたたましく泣きます。前橋、市川あたりではJRの駅前のケヤキなどに大群で飛来して、糞や羽毛をまき散らし商店なども大変迷惑をしているようです。
また本来は、自然木の穴などに巣を作るのですが、最近では住宅地の環境に適応したのか、民家の戸袋の中などに巣を作ったりして、その撤去に一苦労する例も少なくないようです。
まあ、こんな状態ですから大層迷惑がられているわけです。
姿を消す天敵
こうしてムクドリさんたちが住宅地や商店街まで進出して来るようになったのには、それなりの理由がある」わけです。昔は天敵の猛禽類が結構いたので、ムクドリの個体数が爆発的に増えることはなかったものと思われます。ところが、農薬の多用によって、猛禽類の餌になる生物に農薬が取り込まれ、それをまた食べる猛禽類にお体内で、農薬の成分が貯まっていきます。いわゆる「生物濃縮」の問題です。
そうすると、猛禽類の鳥さん、タカとかトビなどは死んでしまったり、死ななくても卵を産んでもヒナが孵らなかったり、卵の殻がものすごく薄くなって割れてしまったり・・・子孫を残せなくなってしまったりします。
そのせいで、ムクドリさんたちの天敵である猛禽類の鳥さんたちはどんどん減ってしまいました。
天敵がいなくなったのですから、当然、ムクドリさんたちは、どんどん数が増える。この悪循環で・・・人間が迷惑を被るはめになったと考えられます。
私の愛読書でもある岡本綺堂の「半七捕物帳」シリーズ(著作権が切れているので、無料で青空文庫からダウンロードできます)は江戸の風物を知るには、なかなか良い資料なんですが、そのシリーズの中にはトビやタカがたびたび話に出てきますので、少なくとも江戸時代には江戸の空をトビやタカが舞っていたと思われます。
要するに人間がしでかしたことが、ムクドリさんたちの増加を招いて、それで人間さまたちは迷惑だと思っているわけです。勝手なもんです。カラスさんの場合と似ていませんか?
ムクドリと人の関係性の紡ぎなおし
ムクドリさんたちは、雑食性のようで、畑のオケラやミミズも食べますし、サクランボ、リンゴ、ナシ、それから絵のも描いた柿などの果物も好物です。お陰で果樹園では害獣あつかいされています。でも、これも人間さまが自分に都合が悪いからと勝手に迷惑がっているだけの話に過ぎません。
こころ優しい方たちのお宅では、庭になった柿を、ムクドリ、メジロ、ウグイスさんたちのために、わざわざ収穫せずに残している人たちもいるというのに・・・・・
完
]]>▲食についての会話●
もう15年以上も前の話ですが、サンフランシスコ財団のプログラム・オフィサーの方に昼食をご馳走になったことがあります。チックという友人が紹介してくれた人でした。勿論、日本でではなく、シスコのレストランでの話です。
環境問題に関連した様々なプログラムへの助成をどのように行なっているのかについてお話を伺っていたわけですが、その内、食べている料理に話題が移っていきました。
「最近の米国の子供たちは自分たちが食べているものが、一体どこで作られてどのような経路を経て自分の口に入ることになったのかを知らないんだよ」
「日本でも、まったく同じだよ、どうしたもんなんだろうね」
フレンチ・レストランで鶏を食べていたんですが、
「たぶん、あの子たちは鶏を殺して肉にしてるってのさえ知らないんだよ」
「僕は父親が鶏をしめるところを子供の頃に何度も見てるけど、都会育ちの日本の子どもたちもほとんど見たことないと思うよ」
「スパーでパック詰めになってるのしか見たことないんだよ。何とかしなきゃ」
という会話を交わした記憶があります。
その後、日本でもこうした問題が話題になったこともありますが、現状はますます悪化しているのはご存じの通りです。
▲我が友 チック●
ところで、この財団を紹介してくれたチックですが、チックというのはニックネームで、意味も分からないまま、私もチックって呼んでいました。周りの友人たちがそう呼んでいたからです。
ある時、彼に「何でチックいうの?名前から来てるんじゃないよね?」
そうしたら彼はニコニコしながら、「ああ、これはね子供の頃からのニックネームで、父親が農業学者でニワトリの研究をしてたからなんだ。チキンに因んで、子供たちの間でチックて呼ばれてたんだ」って教えてくれました。
バードラバーの私のピッタリの友人なわけです(笑)。
彼は大学の出版部で長年映画に関する雑誌の編集者だったんですけど、裏の仕事が小説家で、アメリカやドイツでは有名な環境小説の著者なんです。
▲『地球の十戒』●
彼がくれたポスターに『地球の十戒』ていう彼の言葉が書かれているんですが、その中にこんな言葉があります。
「汝(なんじ)、みずからを育みし動物や植物に、食卓で感謝の祈りを捧げよ」
我々が子供の頃、食事の前に、お米や野菜を作ったお百姓さんに感謝し、これを買って食べさせてくれている家族に感謝して、ちゃんといただきますと言いなさいって躾けられました。しかし、口に入る動植物に感謝の念を捧げるってことは教わった記憶はありません。
チックによると、これはアメリカ・インディアンの古い習慣なんだそうです。
▲食物連鎖、それは循環●
食し、食されるという食物連鎖という関係を、通常はピラミッド型に描きます。そして、人間を最上位において考えます。でも、火葬という後発的な埋葬習慣がなければ、土葬、鳥葬などといった形で、我々の屍は大地に戻ったり、他の生物の餌になるのが本来の姿なわけです。
こう考えると、循環の中の一ステップに過ぎない人間は、自らの身体に取り込む生物とは、対等の立場に過ぎないことに気付くはずです。
弱肉強食という考え方を強調し過ぎるのは、生態系(エコシステム)の本来の姿からは逸脱した説明でしかないことに、もうお気づきのことと思います。
もっとストレートに申し上げても良いのですが、読まれるかたの心でこの事実を感じ取って頂きたいわけです。
そうすると食べ物に関して、今までとはまったく異なる視点が目覚めてくる来るはずです。
]]>新シリーズのスタートにあたって
新シリーズ「江戸の鳥さん」がスタートします。まったく想定外のテーマの登場です。故あって「ヤマセミの受難」でご紹介した友人が心の旅路に旅立つとのことでブログを閉じることなって、そこにあった「京の鳥さん」のコーナーが見られなくなってしまった。友の門出への手向け(たむけ)には「江戸の鳥さん」しかないと思ったわけです。
ただ一つ気掛かりなのは、「京の鳥さん」の挿し絵と違って、こちらは素人が描くわけですので、その点がはなはだ心もとないわけです。
気まぐれな描き手
何しろこの気まぐれな描き手は、ここ10年ほど絵筆をとっていないときています。上の絵もたぶん12〜3年前に描いたものだと記憶しています。したがって、このシリーズの成否は、絵が描けるかどうかにかかっていると言っても過言ではないのです。
でも、「京の鳥さん」のプロのアーティストに、その内、気が向いたら描いて見ると言ってしまった手前もあり、久しぶりに描いてみようかという気になったわけです。私の場合、思春期には油やアクリルカラーなども使っていたのですが、成人してからはもっぱら水彩画、ペン画、色鉛筆画、フォトフロッタージュ等の短時間ででき上がるものしかやらなくなってしまいました。
ということで、申し訳ないのですが、稚拙な素人画にしばらくお付き合いいただくことになります。
オナガガモ(Pintail)
さて、トップバッターはオナガガモさんです。というのは、カモさんたちにとって、少し気掛かりなことがあるからです。
オナガガモは、東京では初冬から春先に見られる渡り鳥です。どうしたことか、最近、北に帰らずに上野の不忍の池などで夏を過ごすカモさんたちもいるようなので、確認していませんが、ひょっとするとその中にオナガガモも一羽ぐらいいるかもしれません。
なんでもオナガガモが関東で多く見られるようになったのは、1960年代のことだそうなので、東京ではひょっとすると新参者なのかも知れません。
まだ、姿を見ていませんが、もうすぐやって来るはずです。オナガガモは東京にやってくる7〜8種類のカモさんたちの中でも、オスは尾羽根が細長くのび気品にあふれた姿をしていることもあり、人気のあるカモさんです。英語でも、pintail「尻尾のとがったもの」という名前で呼ばれているようです。
メスはオス並んで泳いでいないとカルガモなんかと見分けがつきにくいような、褐色の地味な色合いで、オスよりやや小柄です。
本来かなり神経質な鳥さんのですが、不忍の池やお堀端などで長年餌付けされてきたこともあり、人があげるパンのミミなどを恐れずに啄ばむ姿がみられます。最近は東京湾のユリカモメが増え過ぎて、見物人が投げる餌をオナガガモと奪い合う姿が見られ、何だか少し悲しくなります。
鳥インフルエンザの影
今年、少し気掛かりことがあります。それは、鳥インフルエンザの流行です。EUや韓国、中国などでカモやガンなどの渡り鳥が鳥インフルエンザの媒介をするのではないかと警戒されていることです。
鳥インフルエンザのことは、このブログでも既に報じたように、今年は鳥インフルエンザのウィルスが変異して人から人で伝染するようになったインフルエンザが、世界的に大流行するのではないかと危惧されています。
カモさんたちが、養鶏場のニワトリのように大量処分されるなんて事態にならなければと、私は心配しているわけです。
May all the being be well and happy! [注]
]]>バードラバーとしてはなかなか複雑な思いを抱くわけですが、現実を直視して、鳥インフルエンザのことを、少しお話しておきましょう。
そもそも人のインフルエンザウイルスは鳥インフルエンザウイルスに起源を持ち、人インフルエンザウイルスと呼ばれる前には鳥インフルエンザウイルスと呼ばれる期間があります。鳥と人が隔離して生活しているのであれば、鳥インフルエンザが発生しても問題はないのでしょうが、鳥と人が雑居しているような生活様式を取っている人たちも世界には存在します。そうした場所では、鳥インフルエンザウイルスが鳥から鳥、場合にょっては人へ感染したり、またその逆だったりを繰り返していると、突然変異が起って、鳥から人、人から人へと感染するウィルスが生まれることもあります。
今のところ鳥インフルエンザは、人から人へ感染するまでには変異していませんが、WHOはそれがいつ起っても不思議はないと見ています。新型インフルエンザウイルスとなる可能性のある鳥インフルエンザウイルスは、人類にとって脅威的存在と考えられるわです。
そうそう鳥インフルエンザのどこが環境問題なんだなどとお考えになる方もいらっしゃるでしょう。それはあなたの掛けている眼鏡が、日本の縦割り行政というバイアスで歪んで見えるようなレンズがついているからですよ。
本来、自然環境や生活環境と、健康や安全といった問題は不可分のモノを、異なる方向から見ただけの話なんですよ。
大流行の予感
1918年の『スペイン風邪』 死者5千万から1億人
1957年の『アジア風邪』 死者約2百万人
1968年の『香港風邪』 死者約百万人
さて、鳥インフルエンザの変異により生まれる人対人で感染する新たなインフルエンザが生まれたら、どのくらいの数の命が失われることになるのでしょうか? ちなみに、第一次世界大戦… 戦死者900万、非戦闘員死者1000万、負傷者2200万人。第二次世界大戦… 戦死者1500万、軍人負傷者2500万、一般市民の死者数3800万・・控えめな推定。スペイン風邪は第一次、第二次世界大戦をはるかに凌ぐ大流行だったことがお分かりいただけるでしょう。実は、最近の研究によるとどうやら現在感染地域が広がっているH5N1型の鳥インフルエンザウィルスの良く似ていたなんて話もあります、
過去のインフルエンザの大流行と現在を比べたとき、決定的に違うのは、経済のグローバル化にともなって、国際間の人や物の流行が圧倒的に増えたという事実です。これだけを考えると、過去最大の大流行が起っても不思議はありません。
幸運にも鳥インフルエンザには特効薬と言っても過言ではない「タミフル」があります。
しかし、既にベトナムでタミフルに対する耐性を持った鳥インフルエンザ・ウィルスが発見されています。また、日本などで一般のインフルエンザにタミフルを安易に用い過ぎているとの批判の声もあがっています。特効薬に頼った鳥インフルエンザ対策は、タミフルに対する耐性を持った鳥インフルエンザ・ウィルスが流行すれば、即、ゴミ箱行きです。
経済学専門家の中には、「世界範囲で人間の伝染病が大流行する場合、全体損失を試算するのは困難だ、GDPは数割も下落するかも。ヨーロッパや日本のような経済発展速度が緩んだ地域では、過去10年の経済成果がすべて失われてしまう可能性すらある」と予期し、「2003年のSARS流行で、25ヶ国8千人が感染し、約775人が死亡した、アジア地区は約400億ドルの経済損失を出し、香港のGDPは2.6%下落し、カナダの旅行産業は20億カナダドルの損失を負い、2万8千人が失業した。しかし、未来の伝染病大流行に比べてみれば、SARSは大した危機ではない」と言う人もいます。
体制の壁、秘密主義の壁
もっと怖い話もあります。
今年の5月中国の青海省で大量の渡り鳥が鳥インフルエンザに感染死したことが国際保健機構(WHO)の専門家に確認されて以来、中国国内の各地で同様な感染が相次ぎ発生し、WHOが感染地視察を要求したが、中国当局に拒否されたという事実があります。
中国は国家体制が国家体制ですから、事実を隠蔽していることだって十分にありえます。現に、「実際にはもっと多く発生しているのではないか」と懸念を示す声も聞かれます。
消息筋によると、香港の衛生局局長が、「万一、鳥インフルエンザの人から人への伝染が確認されたら、中国本土との境界線を封じる可能性はある」と語ったそうです。何しろ体制が体制ですから…中国全土が国境を閉じるということも考えられます。
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日本への影響
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「症状だけ治してくだせい、先生。でも、後生だから
生き方を変えろなんて言わんでくれや」
先程の経済の専門家の話ではありませんが、そんなことにでもなれば日本経済への打撃は必至です。日本の製造業の生産現場の大半が中国に依存しているわけですし、野菜などの食料も少なからず中国に依存しているのですから…
中国が日本との協力関係を保っていれば、あまり心配することもないのですが…不要な波風を立てたがる馬鹿な首相が、日中関係を過去最悪にしています。鳥インフルエンザ対策で、日本に協力してくれるという保証はありませ。
さらに大陸とは海を隔ているとはいえ、そろそろ渡り鳥がやってくる季節です。人の移動を制限しても、そらを自由に飛んでくる野鳥たちを制限することなど不可能です。
EUでもギリシャ、ルーマニア、クロアチア等で鳥インフルエンザウィルスが確認されています。これはロシアからの渡り鳥がもたらしたものとと見られています。また、ウィルスの発見された南欧から、ベニヅルたちが渡り鳥としてアフリカに向けて旅立ちつつあります。実は、アフリカへの感染拡大も大いに懸念されているわけです。
日本は島国だから安全だとか、防疫体制を取りやすいというのは、単なる妄想で。また、厚生省が切り札と考えている節のあるタミフルによる対策も、全く機能しない可能性もあるわけです。
さて、あなたはあなた自身や日本政府はどうすべきだとお考えでしょうか?
]]>ちょっと気になる情報があったので緊急にアップします。このブログをお読み頂いている方だけへのささやかなお礼の気持ちを込めて……
昨日付けのロイター伝によると、イギリスの検疫施設で死んだオオムから病原性の強いH5N1型ウイルスが検出されたことは、日本のメディアでも既に報じられています。
このオオムはスリナムから、台湾で捕獲した他の鳥と一緒に輸入されたオウムだったとのこと。英国の農務省の検疫の責任者は、同じ輸送によって輸出された鳥の輸入先の一つであるオランダに、鳥インフルエンザに感染している危険性があると連絡したと述べた。
また残りの鳥は日本に輸出されたと付け加えた語った。
日本のマスコミは、何故か報じていないようです。
日本に輸入されても検疫期間がありますので、その段階で感染していれば発見されるものと思います。したがって、それほど心配する必要はないと思いますが、感染してないことが確認されたとの報道が流れるまでは用心された方が良いのではないかと思います。
]]>グローバル・ネットワーキング
すごい時代になりました。趣味のブログで生き物のことを結構書いているんだけど、それに海外在住の皆さんからもコメントが入ってくるんです。昔なら、手紙、ファックス、それからばか高い国際電話、あるいは飛行機で飛んでいかないと連絡が取れなかったのに、ネット上なら一瞬です。しかも、共通の趣味があるっていうだけで、交流が生まれる。本当にすごい時代になりました。
それにしても、情報に飢えてるんですかね、中国に行ってる方からコメントとか照会が結構あるんです。上海にお住まいの方とか、北京にお住まいの方とか…
余談ですが、北京ではもう朝は2度だそうで、早々と冬の到来のようです。金魚の餌のあげ方について夜中に照会があったんで、早速調べてご連絡…
そうかと思うと環境NGOの方からは、カウンターパートになる適当な中国の地方の環境NGOはないかなって、照会が来るわけです。
欧米に比べれば距離的にははるかに近い中国、しかも経済の結びつきも深い中国。市場経済を導入したというのに、どうも情報のやり取りがスムーズではない気がします。言葉の壁もあるんでしょうね。
私はもっぱらネット上の中国語の情報をしらべて、それを機械翻訳で英語に直して中国情報を仕入れるケースが多いんですが、確かに一々英語に置き換えるのも面倒なわけです。かといって、今更中国語を勉強をするのも無理がありそうだし…
環境破壊大国 中国
環境問題の面では、米国に継ぐ環境破壊大国なんです。たぶん、そう遠くない未来にはその順序は逆転するんじゃないか、って私は見ているんです。そんな国なのに、体制が体制だから、環境問題に関する情報がどうもきちんと行き渡っていない。環境NGOもあるにはあるんですが、どうも活動がし辛そうに見えるわけです。
中国政府も最近は環境問題に懸命に取り組んではいるけれど、経済優先なんで、やはり一定の限界がある。
不必要な政治的問題で日中関係はギクシャクしている状況ではありますが、もうちょっと情報のやり取りを盛んにしないと、中国の環境破壊はもっと進むでしょう。困ったものです。
コメントお願いします
それからもう一つの趣味のブログはコメントが結構あるんですが、こっちはなくてちょっと寂しいので、是非コメントしてください。よろしくお願いします。
]]>キリスト教の呪縛
「人間は造物主が創った傑作である。だが誰が言うのか、人間がである。」
ガヴァルニ『警句集』
この警句は19世紀の風刺画家ポール・ガヴァルニのもののようです。このころの西欧の世界観はまだキリスト教の呪縛から逃れることが出来なかったことが見て取れます。キリスト教的世界観では「神」>「人」>「自然」という厳然たる序列が存在していました。造形主たる神が己が姿に似せて作った人間から見れば、それ以外のものは支配の対象にすぎず、己よりはるかに下の存在でしかありませんでした。だから、当然、神が作りしものの中のマスターピース(最高傑作)でありました。風刺画家ガヴァルニは、人間が自らこのように宣う姿を、冷ややかな目でみていたのでしょう。
このキリスト教的世界観は、環境問題が起こるまでほとんど無修正のまま、欧米人の心の中に連綿と生き続けてきました。勿論、明治以降、西欧の真似に血道を上げてきた日本にもこうしたモノの見方が入ってきて、日本を席巻してしまいました。
人間至上主義的な環境観
このモノの見方は、環境問題をどうとらえるかというと、
資源は人間にとっての資源をさし、価値とは人間にとっての価値以外の何者でもなく、植物種は人間にとって農業や医療のための遺伝子プールとして重要であり、多様性は人間の資源として重要であり、公害や環境破壊は経済成長を脅かすようになる時にのみ抑制し、環境保護のために自分の生活水準を下げるなどとんでもないと考え、途上国の人口増加は生態系の均衡を脅かす……と考えるわけです。
こうした者の見方は、人間至上主義(あるいは人間中心主義)に立った皮相的環境主義とか表層エコロジーなどと呼ばれています。
見た目は環境を保護しているかのように見えますが、実は人間(特に先進国の人間)を一段上か、自然の外に置いて、自然を支配しているという考えが底流をなしているわけです。
『地球の掟』
クリントン政権の副大統領だったアル・ゴアが、”EARTH IN THE BALANCE”(邦題『地球の掟』)という本を1992年に書いたとき、米国の環境派の人たちは大いに期待したわけでえす。何しろ”Ecology and the Human Spirit”(エコロジーと人間の心)などという環境派の人たちがいかにも喜びそうな思わせぶりな副題までご丁寧にも付いていたからです。
目次を見ると、「決意への旅」「仏陀の息」「生態経済学」「魂の環境主義」等々なかなか魅力的な言葉がちりばめられているではありませんか。環境派の期待はいやおうなし高まったわけです。
環境派の失望
『ターニング・ポイント』『タオ自然学』などの国際的ベストセラーの著者で私の友人でもある物理学者のフリチョフ・カプラは、ゴアと話をしてガッカリしたと、主宰していたエルムウッド研究所のニュースレターに書いていました。ゴアの著書を読んでひょっとして皮相的環境主義的な視点を超えた見識を持っているかもない知れないとのフリチョフの密かな期待は、見事に裏切られてしまいました。というのも、ゴアは皮相的環境主義に立つ人物に過ぎなかったからです。キリスト教信者の票を諦めることが出来なかったのかも知れないと、フリチョフは同情的な見方をニュースレターに述べていたやに記憶しています。
この時、環境派の人たちの期待を大きく裏切っていなければ、大統領選に出馬した時に、ラルフ・ネーダーに票を食われ、最終的にはブッシュなどというジャンク(がらくた)政治屋に破れるなどという羽目にはならなかっただろうに、と私は見ています。
これはあくまでサワリですから、美味しいところは後の楽しみということで、この辺りで幕にします。
そうこうしてる内に、私の趣味のブログにいつもコメントを頂くブログ仲間のLさんから「面白いブログがあるから、ちょっと遊びにいてみない」「でも、過激なこと書く割に気が小さい人だからコメント入れるときはお手柔らかに」って感じのご連絡を頂いたわけです。でさっそく、そのブログを覗きにいきました。
そのブログでは、こんな言葉をネタにエコ標語に見られるエコ派の思い上がりというよいうなお話が展開されていました。
「人間は造物主が創った傑作である。
だが誰が言うのか、人間がである。」
ガヴァルニ 『警句集』
このネタを、そのブログとは正反対の方向から、エコ派なりの味付けで美味しく調理してみたいと考えていたわけです。
『地球にやさしい生活術』
実は、私は「地球にやさしい」という言葉を日本で流行らせた張本人のひとりなのです。1990年に『地球にやさしい生活術』(TBSブリタニカ)という本を友人たちに下訳を手伝ってもらい監訳しました。
この本をご記憶になられている方もいるかとも思いますが、日本で地球環境問題にスポットが当たる契機になった本の一つとなりました。本のタイトルは、本の原題『緑の地球の青写真』というまったく違うのですが、編集作業の最終段階で、『地球にやさしい生活術』しようか『環境にやさしい生活術』にしようかなどと迷いながら私の友人でもある編集者と相談して決めたものです。そして日本で「地球にやさしい」というキャッチコピーが流行させることになりました。たぶん、その編集者の友人もこのブログを見てくれていると思うのですが…
批判への反論
ブログを紹介してくれたお友達のLさんも、そのブログの主もこうした経緯があるとは、ご存じなかったはずです。だから、ブログの主のTさんはヤバイのと出くわしたときっとお思いになられるしょう。なにしろ、「地球にやさしい」ということばも、Tさんにご批判いただいているわけですから…そうそう「地球をすくう」って言葉もご批判頂いているのですが、こっちも『地球を救え』なんてご本の翻訳メンバーだったりするんです。実は…。(Tさんビビるんだろうな〜きっと、可哀想に!)
しかし、私自身も「地球にやさしい」とか「地球を救う」とかという言葉をはやらせた張本人の一人として、頂戴したご批判に対しては、一度きちんとどこかで反論しておく必要性と責任を前々から感じてはいたのです。
『人間至上主義を切る(予告編)』
Tさんのブログとの偶然の出会いも何かのご縁でしょうから、『人間至上主義を切る』ということで、一言物申したいと思います。
「切る」というと何かすごく過激なんじゃないかと思われるかもしれんません。でもこれは紹介者Lさんの趣味にあわせた、はんぶん悪戯で付けたものなのですのでそれほど過激なものでは、実はないんです。
このLさん、女性ながらに安眠を妨害する近所のカラス撃退のためにエアガン攻撃がお得意という、なかなか勇ましい方なのです。ちなみにLさんのブログにあった画像がこれ→
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そこで、一見過激そうなタイトルとなったわけですが、書こうという本人がなにしろ「地球にやさしい」だけではなくて、人にもやさしいものですから、ご心配ご無用。まあ、いっぱい疑問符が続く問いかけの文章にはなると思ういますが…
人へのやさしさの実践として、念のための私が匿名でやっているブログのほうに、LさんとTさんに趣旨説明するための『人間至上主義を切る(予告編)』という記事を書いて、めでたくこのお話を書く運びとあいなったわけです。
たぶん、また長い記事になりそうなので、数度にわけてお話するつもりです。いつもの調子で、多少わき道にそれたりするかも知れませんが、是非、お付き合い下さい。
]]>住宅街の鳥たち
近所のスーパーの前の街路樹からの視線を感じて、見上げると「ヒヨドリ」がいました。ヒヨドリはなかなか好奇心おう盛なのか、観察しているとしばしばこっちの様子をうかがいにくることもあります。以前、千鳥ケ淵が雪の日などにカモたちにパン屑を与えに行っていたことがあるのですが、ヒヨドリが横からスーと割り込んできて、投げたパン屑をかすめ取ったものです。ヒヨドリのために、わざと高くパン屑を投げ上げてあげると、喜んでこっちのそばまで飛んできました。
させ、その後はスズメやカラスの姿は見かけるのですが、他の鳥はどうも見当たりません。遠くで「オナガ」の鳴く声は聞こえていましたが、姿は見えませんでした。このオナガという鳥は見かけはなかなかダンディーで素敵なのですが、カラス科なので声が悪くて、「グェーイ、グェーイ」って具合ですからちょっとがっかりさせられます。そこで鳥捜しはひとまず諦めて、果樹をたくさん植えているお宅の場所を頭にたたき込むことにしました。といのは、果物を食べにやってくる鳥もいるので、次回の楽しみにするためです。
やっと高校のテニスコートの端でスズメと一緒にキジバトのつがいが草の実かなんかを啄ばんでいるのい出会いました。その近くで以前、トビだかチョウゲンボウだか(目の前の木に止まってしっかり目が合って、こっちの方が驚いたので確認できなかったのですが)と、出会ったことがあったので期待していたのですが、今回は不発でした。
水辺の鳥たち
そこで今度は河川敷の方に向かうことにしました。まず、耳に入ってきたのは「チュイチー」という声でした。ははんと思って鳴き声がした方に目をやると予想通り「ハクセキレイ」がいました。
私の友達の描いたハクセキレイの挿し絵はこちら→
ちょっと目を中州の方に目をやると「カワウ」と「ユリカモメ」が羽根を休めているのが目に留まりました。カワウは30羽ほどいました。以前は1〜2羽にかみかけなかったんだけどな〜と思っていると中にえらく背の高い鳥がいること気づきました。双眼鏡で眺めていると大きな鳥が目の前を横切ったではありませんか。
その鳥は15メートルほど先の岸に佇んでいました。黒っぽいサギです。あれ、ゴイサギにしては大きいすぎるし、黒いからコサギでもダイサギでもないのです。「アオサギ」[注3]でした。東京に来てアオサギを見たのは、上野動物園以外でははじめてです。体長は90センチ以上になる日本最大のサギです。
しかも、一匹ではなくつがいが若鳥を連れていたのです。若鳥は親鳥よりひとまわり小さく、色は親鳥よりさらに黒っぽい。帰宅後、開高健さんが監修したイギリスのバードウォッチングの訳書を見ていたら、アオサギが出ていました。イギリスにもいるんだなどと感心しました。
私の側で見ていた地元のオジサンが、「あの大きな鳥は何だい?1メートル近くあったね」「あれダイサギです。大きいですね」「ここであの鳥見るの始めただよ」なんて会話が始まりました。オジサンの話では、最近ゴミを捨てる人が減って、水が随分きれいになってきたんだそうです。確かに、川面にかなり大きな魚影が見えます。
「そうだ、この辺は昔、製紙工場でもめたんじゃなかったですか」「うん、あそこの排水で随分魚が死んだよ」「でも今はほとんど紙は作ってないみたいですね」
そうです、それは公害紛争時代の話です。オジサンと話していて、東京の川がきれいになってきているのを実感しました。
オジサンに別れを告げて、そろそろ帰宅することにしました。
粋な会話
その途中、川の土手の上を歩いていたら、5〜6人の釣り人が下の川岸で釣りをしていました。通りすがりのオジサンが12〜3名以上離れた釣り人に向かって、
「魚いじめないでくれよな〜」
そしたら、釣り人の中で一番年配のお爺さんが
「大丈夫だ!皆でよって集って苛めてるから、餌食わねぇ〜ぞ」
だって。しばらく見てたんですが、確かに釣れる気配もありませんでした.
私は何だか楽しくなって家路を急ぎました。
]]>今回はとても短いエッセイです。
『森と水と紙(その2)』[注1]で中国の急速な経済発展にともなって、アジアの森林がなくなってしまうのではないかというお話をしました。
コンサル会社のプライスウォーターハウスクーパース社(PwC)は中国の紙類需要について、欧州や北米の4倍以上であると見ているようです。彼らによると、「中国が2004年に消費した紙類およびボール紙は5440万キロトンで、うち10%近くを輸入に依存したという。中国では一人当たりの紙類年間消費量は平均42キロ。アメリカや日本、欧州は200キロであるため、今後の成長市場として注目されている」[注]とのこと。
まあ紙の市場という視点から見ると、「今後の成長市場として注目されている」ということになるんでしょう。でも、原料である木材の出所を考えると暗澹たる気持ちになりませんか?
PwCの見解は、「中国の急速な経済発展にともなって、アジアの森林がなくなってしまうのではないか」という私の危惧を確信に近いものにしてくれました。
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